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- +wingー「未来への翼」を手に入れようー
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- Episode-01
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子どもの頃から保育士に憧れていて、愛知で保育士をめざすなら桜花だろうという思いがありました。先輩方の実績や高い就職率がその理由です。母の母校であるということも、桜花を意識するきっかけになりました。最後のひと押しは、オープンキャンパス。楽しそうに桜花の魅力を語る先輩方に惹かれて入学を決意しました。
名短には「3週間のホームステイプログラム」があったんです。その当時、今のように気軽に海外に行けるような時代ではなく、ホームステイができる大学は、この地域だと名短ぐらい。「ホームステイに行ってみたい!」という一心で入学を決めました。人生初の海外経験は、今でも鮮明に思い出すことができる、大切な財産です。
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志望校が決まり、受験勉強にも火がつきました。勉強の合間に母はよく、名短時代の話をしてくれました。いきいきとサークルや留学ことを語る母の姿から、名短で過ごした2年間は本当にかけがえのない時間だったのだと、手に取るように感じられて…。母との会話は「よし、もうひとがんばりするか」と前向きな気持ちにさせてくれました。
「桜花を受験する」と娘から聞いて、友だちや先生との距離が近く、桜花の親しみやすい雰囲気は娘にぴったりだなと感じました。また、保育科の友人で園長先生として今もがんばっている人もいます。この大学なら必ず娘は夢をかなえることができるだろうと、志望校として選んだときから、桜花学園大学に信頼を寄せていました。
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私は実習です。保育園か、幼稚園か、自分の進路を見極めるきっかけになりました。貴重な経験となった一方、毎日の日誌は結構大変。でもリビングで作業していたので、家族の存在が常に感じられ、一人で抱え込まずに実習を乗り越えられました。ささいなことですが家族の支えを感じ、その存在の大きさと大切さを実感しました。
私はサークル活動をがんばりました。所属したのは、立ち上がったばかりのアンサンブル同好会。お金がなくて楽器が買えず、リコーダーやピアノで合奏していました。私のパートはソプラノリコーダーですね。今ではこの同好会はなくなってしまったようですが、私にとって大切な思い出。今でもアンサンブル同好会のメンバーとは仲良くしています。
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2年生の夏休みに参加したオーストラリアでの海外研修です。2週間、現地の保育園で実習しながら、語学学校で英語を学びました。さまざまな国籍の子どもたちが集まる保育の現場を知り、「多文化保育」をテーマに卒論を書こうと決意。海外の保育を体験していることは、私にとって大きな強みになると思います。気持ちよく送り出してくれた母にも感謝しています。
やはりホームステイですね。ホストファミリーの家で父親が毎日皿洗いをするところや、小さな子どもが親と別の部屋で寝るところを見て、アメリカと日本の暮らしぶりの違いにカルチャーショックを受けました。「名短でいい経験をさせてもらった」という思いがあるので、娘がオーストラリアに行きたいと言ったときも、迷わず背中を押すことができました。
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時代は違いますが、母と同じように学生時代の話で盛り上がれることは、とても幸せなことだと思います。母の卒業アルバムを見て校舎の違いに驚いたり、母が通っていた頃から今でも職員を続けている方の話を聞いたり…。私もよく、毎日の出来事を話します。何気ない会話の中からも、桜花・名短の歴史に触れたような気分になりますね。
大学は高校までと違い、親がキャンパスに行くことはありませんよね。しかし、私が歩いた通学路を通って大学に行き、私が学んだ校舎で授業を受けているんだと、娘の大学生活を具体的に想像することができるから、安心感があります。当時、保育科の友だちがピアノの個人練習や実習に打ち込んでいたように、力いっぱい学んでほしいと思います。